- 「ユーゴスラビア」って現在のどこの国?
- どんな観光地があるの?
この記事では、海外添乗員として約10年間で103ヵ国を案内してきた私が、あなたのこんな悩みや疑問を解決する記事を用意しました。
ズバリ、ユーゴスラビアとはバルカン半島の国々で、現在のクロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、北マケドニア、セルビア(コソボ自治州を含む)、モンテネグロの7つの国。
絶大なカリスマ性をもつチトー元帥のもと、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字による1つの国家」ユーゴスラビア社会主義連邦として、「友愛と団結」をスローガンにともに歩んできた国々です。
旅行先としてはあまり有名ではありませんが、文明の十字路だったこの場所は歴史的にも文化的にも興味深く、知られざる魅力に溢れるエリアです。
今回は、海外添乗員として、これらの国々を周遊した私が、それぞれの国の概要と見どころを紹介します。
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旧ユーゴスラビアの国々があるバルカン半島ってどこ?
バルカン半島は、ヨーロッパの南東部に位置する地中海に突き出た半島です。
一般的に、バルカン半島はギリシャ、アルバニア、ブルガリア、ルーマニアと旧ユーゴスラビア諸国(セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、マケドニア、コソボ、モンテネグロ)を差します。
あらためて、旧ユーゴスラビアは現在の国でいうと次の7カ国です。
- スロベニア
- クロアチア
- ボスニア・ヘルツェゴビナ
- セルビア
- モンテネグロ
- コソボ(セルビアから独立)
- 北マケドニア
バルカン半島は、 ヨーロッパとアジアの中間に位置し、古くから多くの民族が行き交いました。
そのため、古代ローマ遺跡からキリスト教の教会、イスラム教のモスク…と様々な文化が混在しています。
また、500年ものあいだオスマン・トルコ帝国に組み込まれていたことから、ヨーロッパでありながら、イスラム圏の雰囲気が色濃く残り、オリエンタルでエキゾチックな雰囲気が残る町が多くあります。
たとえば、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボや古都モスタルの旧市街に一歩踏み込めば、それはもう、イスラム圏と同じかおりがするのです。
ドロドロとしたトルココーヒーに水パイプ、金銀細工に木工品に絨毯…
まるで遠いトルコに迷い込んだかのような、エキゾチックな雰囲気が迎えてくれます。
ローマ時代の遺跡あり、オスマン・トルコの影響あり、はたまたアドリア海沿岸の可愛らしい町並みあり…
旧ユーゴスラビアの国々は、パッチワークのように多彩な見どころに溢れています。
クロアチアのドブロブニクからボスニア・ヘルツェゴビナの古都モスタルまではバスで3時間。
それまで教会が多かったのに、風景はガラリと変わってモスクのミナレットが多くなります。
ほんの数時間、バスで移動しただけでこうも景色が変わることにビックリすることでしょう。
多様な文化が入り乱れた旧ユーゴスラビアの国々は、複数の国を訪れてこそ、その魅力をいっそう感じられるエリアです。
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「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字による1つの国家」とは
旧ユーゴスラビアは、絶大なカリスマ性をもつチトー元帥指導のもと、
「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字による1つの国家」ユーゴスラビア社会主義連邦として、
「友愛と団結」をスローガンにともに歩んできました。
民族の多様性に富んだ国でしたが、それだけに民族間の争いが多く、最終的にはユーゴスラブア紛争にまで発展して解体されました。
ここでは、それぞれの数字が示す内容を紹介します。
7つの国境
イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ギリシャ、アルバニア
6つの共和国
スロベニア、セルビア(現在のコソボも含まれる)、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ
5つの民族
スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人
4つの言語
スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語
3つの宗教
イスラム教、カトリック、正教
2つの文字
ローマ字、キリル文字
1つの国家
ユーゴスラビア
以上が、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字による1つの国家」のそれぞれの数字が意味するところです。
次からは、「6つの共和国」である北マケドニア、セルビア、コソボ(セルビアから独立)、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニアそれぞれの概要と、観光地としてのおすすめの見どころを紹介します。
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北マケドニア
首都スコピエ
北マケドニアはあまり馴染みのない国かもしれませんが、首都スコピエは2人の人物と関係がある都市として知られています。
一人は、マザーテレサです。アルバニア人でキリスト教徒の家庭に生まれたテレサは、幼少時代をここで過ごし、修道女になるために旅立ちました。インドのコルカタで活動をし、多くの人にたくさんの愛をそそいだことは知られている通りです。
スコピエには「マザーテレサ記念館」があり、子供時代のマザーテレサの写真や様々な身の回り品が展示されています。
コルカタで「マザーハウス」や「死を待つ人の家」へ行ったことがある人なら、テレサの人生が始まったスコピエの訪問は感動的なものとなるはずです。
もう一人、スコピエにゆかりがある人は、じつは日本人です。
1963年にスコピエ大地震が起きた際、スコピエの町は80%以上が破壊され、まさに壊滅的な状況でした。
その震災復興を担い、都市計画を進めたのが、「世界のタンゲ」で知られる日本人建築家・丹下健三でした。
現在、スコピエの町は、高層ビル群が林立する大都市へと見事に発展を遂げています。
カレ要塞に立って町を眺望すると、中央を流れるヴァルダル川に沿って、半円を描くように街が形成されているのがよく分かります。
その復興プロジェクトを手がけたのが日本人だったとは、日本から遠く離れたマケドニアでの活躍に敬意を表さずにはいられません。
丹下氏は常に時代の最先端を歩んでいました。
ガラス張りの近代的なショッピングセンターは、当時としては市民の度肝を抜く、たいへん斬新なデザインだったようですが、現在では近代的な町並に見事に調和していました。
オリエント急行も停まった旧スコピエ駅は、地震が起きた5時17分で止まっており、駅舎は博物館として開放されています。
オフリド
オフリドは、キリスト教伝道の拠点として栄えた町で、神学校や修道院などキリスト教の建造物が点在しています。
中世には、365もの教会が建てられ、宗教文化都市としてにぎわいました。
オフリド最大の見どころは、湖を背景にした聖ヨハネ・カネヨ教会の美しい景観でしょう。
風光明媚なこの風景は、近年少しずつ人気を集め、「ヨーロッパの美しい村30選」にも選出されたほどです。
世界遺産にも指定されています。
スコピエもオフリドも、社会主義時代の暗い面影は少なく、カラフルな家並みがあったり、オープンカフェでくつろいでいたり、急速に発展していることが感じられました。
今後、変わりゆく姿から目が離せない国のひとつです。
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セルビア
首都ベオグラード
セルビアは、ユーゴスラビア時代にはその中心的な存在でした。
チトー元帥が死亡すると、連邦は次々と分離独立への道を歩みましたが、セルビアの首都ベオグラードにあるチトーの墓には、彼の功績を称えて今も訪問客が絶えません。
社会主義国でありながらソ連と袂を分かち、西側にも東側にもつくことがなかったユーゴスラビアという共同体や、6つの国を一つにまとめたカリスマとして、亡き今でも人気が高いティトー元帥について、知れば知るほど興味深くなります。
ボイボディナ自治州ノビ・サド
オスマン・トルコの影響が強いバルカン半島にあって、セルビア北部ボイボディナ自治州の州都でもあるノビ・サドは、洗練された町並みが残っています。
ここは、オスマン・トルコよりもオーストリア・ハンガリー帝国の支配が長かったため、西洋的で美しい町並みがよく残っているのです。
なんと27もの民族が共存し、互いの文化や宗教、言語を尊重しながら生活しています。
セルビア南部は、いまだコソボ問題として複雑な民族問題を抱えていますが、「ここ、ボイボディナ自治州においては、いたって平和的に異なる民族の人々が生活しているのよ」とガイドさんが話してくれたのが、今でもたいへん印象に残っています。
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コソボ
ユーゴスラビア時代は、セルビア共和国の一部として自治権をもつ自治州でした。
しかし、アルバニア系住民が多く占めるコソボ自治州内でセルビア系住民との衝突が繰り返され、武力闘争へと発展。1999年に内戦が終了し、2005年に「コソボ共和国」として独立した新しい国です。
しかし、コソボを自国領土の一部とみなすセルビアやその友好国からは、独立を承認されていません。
セルビア正教の修道院や教会
かつてセルビア共和国の一部であったコソボには、セルビア正教徒にとって聖地ともいえる修道院や教会が多く残っています。
中でも、ペーチ総主教修道院は、「セルビア正教のエルサレム」ともいわれ、総主教座が置かれたセルビア正教徒にとって大切な場所となっています。
首都プリシュティナ郊外にあるグラチャニツァ修道院は、内部のフレスコ画がすばらしく、後期ビザンチン建築の傑作です。
コソボは内戦による負のイメージが強く、観光資源に乏しいように思われがちですが、じつは、輝かしい中世セルビア王国時代に建てられた教会が点在する宗教建築の宝庫なのです。
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モンテネグロ
コトル
アドリア海沿岸には美しい町並みが残り、「アドリア海の秘宝」とも称されるモンテネグロ。
中でもコトルは、アドリア海の海岸線が陸地に入り込み、複雑な入り江となったコトル湾の最奥部にある美しい港町で世界遺産にも指定されています。
背後に山が聳え、天然の要塞に守られたコトルは、ヴェネチアの支配下で海上交易の重要な港としても繁栄しました。
そんなコトルの旧市街は、中世の町並みが良く残り、路地裏歩きが楽しいエリアなので、ゆっくり散策するのがおすすめです。
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ボスニア・ヘルツェゴビナ
首都サラエボ
サラエボといえば
- 第一次世界大戦勃発のきっかけとなったオーストリア皇太子が暗殺されたサラエボ事件
- 1984年の冬季オリンピックの開催地
- 1992年4月から約4年間にわたって市民が包囲されたサラエボ包囲
など、歴史の教科書にも出てくるような重要な出来事が多く、その名が知られています。
実際に、サラエボの町では、第一次世界大戦勃発のきっかけとなった「ラディンスキー橋」や、「オリンピックスタジアム」、内戦中多くのジャーナリストが滞在した黄色い「ホリデイ・イン・ホテル」などを見ることができます。
内戦中は犠牲者が墓地の収容人数を超えてしまったため、オリンピックスタジアムのグラウンドが墓地として使われたというたいへん悲しい歴史もあります。現在は解放されているため、参拝することができます。
お墓には名前や年齢などが刻まれているものもあり、中には幼い子供も大勢いて、こみあげてくるものがありました。
「トンネル博物館」は、少し郊外にありますが、サラエボの歴史を知るにはぜひ見学したいところです。
1992年4月5日から1996年2月26日までサラエボ市民がセルビア軍に包囲された際、食料も医薬品もない中で大変苦しい生活を強いられました。
これを打開すべく、国連の滑走路の下にトンネルを掘って、外の世界から物資を運んだり、脱出したりしました。
長さ720m、幅1m、高さ1.5mで4カ月かけて完成したもので、現在はその当時の様子を伝える博物館になっています。
かつては、オスマン・トルコ帝国やオーストリア・ハプスブルクなど、さまざまな民族の支配を受けました。
そのため、旧市街には、ヨーロッパ風の建物や教会があったかと思えば、すぐとなりにイスラム風の職人街とモスクがあったりと、異なる文化が共存しています。
異文化の共存を肌で感じ、平和や戦争について考えさせられる町です。
モスタル
オスマン・トルコ時代に建設された古都モスタルは、小高い山に囲まれ、町の中心をエメラルドグリーンのネレトヴァ川が流れる自然豊かな場所です。
モスタルを有名にしているのが、オスマン・トルコ時代に建設された橋「スタリ・モスト」。「スタリ」は古い、「モスト」は橋を意味するこの橋は、「モスタル」という名前の由来にもなりました。
1556年に古くからあった木の橋に代わって、トルコ人建築家にデザインされた石造の橋となります。以来、16世紀から17世紀にわたって、この町はボスニアからアドリア海に抜ける中継都市として栄えました。
しかし、1993年に紛争で破壊されて、一時は川に崩れ落ちました。
その後、ユネスコの協力を得て2004年に復興工事が完了し、翌年には世界遺産に指定されています。
モスタルの町は、川を隔てて東側にムスリム人、西側にクロアチア人と住み分けられています。
「スタリ・モスト」は東側と西側を結ぶ物理的な橋であるだけでなく、心理的な架け橋となって双方を繋ぎ、平和の象徴として存在しているのです。
まだまだ課題は残りますが、終戦から時が経ち、平和を取り戻したボスニア・ヘルツェゴヴィナは、文化・宗教・人種の十字路にあるエキゾチックな国として、注目を集めています。
単に美しいだけではなく、平和の大切さや戦争の悲惨さについて考えさせられる町モスタルに、ぜひ足を運んでほしいと思います。
人気急上昇のクロアチアからもアクセスが良く、スプリットやドブロブニクからの日帰りで訪問することもできます。
時間があったら、ぜひモスタルに1泊してみてください。イスラム教のお祈りの時間を知らせるアザーンが鳴り響き、ヨーロッパにいるのにどこか異国情緒漂う雰囲気を感じることができますよ。
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クロアチア
クロアチアは、「アドリア海の真珠」と称えられ、城壁に囲まれた美しい町ドブロブニクや、神秘的なエメラルドグリーンの湖と滝が爽やかなプリトヴィッツェ湖群国立公園、オシャレで可愛らしい町ザグレブなど見どころがたくさんあります。
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スロベニア
まるでポストカードのように美しいブレッド湖やヨーロッパ最大級のポストイナ鍾乳洞など、自然豊かな絶景が広がるスロヴェニア。
首都リュブリャナの旧市街は折り重なるような赤い瓦屋根の町並みが可愛らしく、まるで中世へタイムスリップしたような気分が味わえます。
日本の四国と同じくらいの小さな国ですが、知られざる魅力を秘めています。
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【まとめ】旧ユーゴスラビアはバルカン半島の7ヵ国、実は観光資源が豊富
以上、旧ユーゴスラビアの国々を紹介しました。
一度にすべての国を見てまわることは難しいかもしれません。
しかし、旧ユーゴスラビアの国をいくつか見てまわると、かつて共に団結して歩んできた国々の歴史に触れることが出来ると思います。
クロアチアやスロベニアは、観光地としても人気が出ていますが、あと数日時間をとって、モンテネグロやボスニア・ヘルツェゴビナへも足を延ばしてみてください。
きっと、違った発見や新しい出会いがあり、より旅が充実することでしょう。
いずれの都市も活気にあふれ、観光客も多いことから、近年に内戦が起こったとは想像しにくいかもしれません。
しかし、城壁から見下ろした屋根や、ふと見た民家の壁に、なまなましい銃弾の跡が見えるのです。
美しい町並みのスキマから、内戦の傷跡が飛び込んでくることもあり、世界平和や戦争について考えるきっかけにもなると思います。
参考にしていただければ幸いです。
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